お釈迦さまの教えられたことを正しく知っていただきたいと思います。
今日の金言
当流の真実の宝というは
南無阿弥陀仏、
これ一念の信心なり
(御一代記聞書)
この世の宝は、いつか壊れる。
喜びも色あせ薄れ、消えていく。
大宇宙最高の宝・南無阿弥陀仏と一体になれば、
焼けもせず、流されも、盗まれもしない、
無上の幸せがいつも満ちていると、
絶賛されています。
西洋文明はお釈迦さまの手のひらをうろうろしているに過ぎない。 [西洋文明から見た仏教思想]
西洋の文明の、物理学、哲学、心理学、経済学など、
どれほど進歩しても、2600年前にお釈迦さまの説かれた
哲理を証明するだけで、
今後進歩すればするほど、仏教に近づくだけであることが
書かれています。
孫悟空がキント雲で世界の果てを目指しても、
お釈迦さまの手のひらから外へは
抜け出せないイメージそのままです。
仏教は、お釈迦さまが仏智を体得し、
宇宙の真理を説かれたものです。
つまり、三世十方(いつでもどこでも)を貫く真理を
説かれたものということであり、
信じる信じないの一宗教的なものではないということなのです。
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①東洋の世界観
世界はどうなっているのか~物理学~
「まさか物理学より広い世界観はないでしょ?」
とあなたは思っていませんか?
天才的な物理学者たちは、
驚くべきことを発見しています。
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●2000年前に物理学を先取り
20世紀の爆発的な科学の進歩によって、
ミクロの世界から大宇宙まで、
物理学は急速に自然のしくみを解き明かしました。
その現代物理学の柱が2本あります。
■相対論
まず一つ目は、時間と空間の関係を解明し、
現在はカーナビなどに使われている『相対論』です。
光に近い速度では、時間がゆっくり進み、
空間はゆがんでしまうという想像を絶する理論です。
たった一人で作りあげた天才、アインシュタインが、
何と、物理的な考えを究極に突き詰めていくと、
仏教に説かれる概念と、
酷似したものがあると言っているのです。
さらに、次のようにも言っています。
「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが
あるとすれば、それは仏教です。」
■量子論
もう一つは、ミクロの世界を解き明かし、
パソコンや携帯電話、半導体などに使われ、
現代生活になくてはならない『量子論』です。
その内容は、
「すべての物質は波であり、粒子である」という、
これまた想像を絶するものでした。
ところが、量子論をつくった代表的な3人、
ボーアと、ハイゼンベルク、シュレーディンガーも、
東洋思想を学んでいます。
量子論の父、ノーベル賞物理学者
ニールス・ボーア(1885~1962)
原始物理学論との類似性を認識するためには、
われわれは仏陀や老子といった思索家が
かつて直面した認識上の問題にたち帰り、
大いなる存在のドラマのなかで、
観客でもあり演技者でもある我々の位置を
調和あるものとするように努めねばならない。
波動方程式によって
ミクロの世界を
波として説明したシュレーディンガー(1887~1961)
は著書の中で、波動方程式が、
東洋の哲学の諸原理を記述していると語り、
次の言葉も有名です。
西洋哲学へは東洋思想の輸血を必要としている。
ミクロの世界を、粒子として説明した、
ドイツのノーベル賞物理学者
ハイゼンベルク(1901~1976)は、
日本のすごさの原因を次のように考えています。
過去数十年の間に、日本の物理学者たちが
物理学の発展に対して
大きな貢献をしてきたのは、
東洋の哲学的伝統と、「量子力学」が、
根本的に似ているからなのかもしれません。
その代表、中間子論により日本初のノーベル賞を受賞した
湯川秀樹(1907~1981)は仏教から多くを学んでいます。
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた。」
世界初の原爆を開発した責任者、
語学の天才オッペンハイマー(1904~1967)
は語学に堪能で、仏教も学んでいました。
「原子物理学の発見によって示された人間の理解力は
必ずしもこれまで知られていなかったわけではない。
また、べつだん新しいというわけでもない。
我々の文化にも先例があり、仏教やヒンズー教では
中心的な位置を占めていた。
原子物理学は、いにしえの智慧の正しさを例証し、
強調し、純化する。
「ブーツストラップ(靴ひも)理論」により、
素粒子「クオーク」を用いず、
最新の実験結果を説明した
カリフォルニア大学物理学科長
ジェフリー・チェ(1924~)
は、仏典の説く宇宙モデルと、
自分の理論が同じ概念であると知り、
愕然としたと言います。
「1969年のことです。
当時、「東洋哲学」の勉強をしていた高校生の息子が、
大乗仏教について私に話してくれたときの驚き、
悔しさはいまでも鮮明です。
私は、仏教とはおそろしく非科学的な感じの概念と
思っていましたから、
私の理論との結びつきにひどく狼狽しました。
それから、ずいぶん時間はかかりましたが、
当初の狼狽や当惑は、
やがて、畏怖(いふ)の念に変わっていきました。」
その他、微分積分学のライプニッツも
どうやら仏教を学んでおり、
一つの電子軌道に3つ以上の電子が入れない、
「パウリの排他律」で有名なパウリや、
コンピューターを開発した天才数学者ノイマンも、
量子物理学の究極の真理の中に、
数多く共通した仏教の哲学があることを
発見していました。
また、素粒子の世界だけではありません。
1980年代後半に生まれた『複雑系』の研究をし、
シュレーディンガーの主著の日本語訳でも知られる
中村量空(なかむらりょうくう 1948~2001)は、
「私が仏教の縁起に関心をもったのは、
複雑な世界の実態を説く縁起(因縁果の道理)の世界観が、
現代の複雑なシステムの理解に強いインパクトを
与えるだろうと思ったからである。
人や物の結びつきを説くこの世界観に立てば、
何らかのパースペクティブ(見通し)が得られるにちがいない。
そこから現代科学の探究する複雑なシステムを見れば、
どんなイメージがわいてくるだろうか。
縁起のアイデアを現代科学に生かそうという試みは、
むしろ新鮮な刺激を
サイエンスに与えてくれるような気がする。」
と述べています。
物理学だけではありません。
もともと数学はインドが強く、
ゼロもインドで発見されたのですが、
数学者の中にも、『三平方の定理』の名付け親で、
当時の重鎮だった東大の
末綱恕一(すえつなじょいち 1898~1970)
は仏教を取り入れた数学論を展開しています。
「科学技術の進歩をよく方向づけることのできるのは
仏教ばかりであろうと、
私は絶大な期待をかけている。
キリスト教にはいくつかのドグマ(宗教上の教義)があって、
到底今日の科学と相容れないところがありますが、
仏教は科学を包容することができるはずであります。
この貴重な仏教を、
我々が滅亡させてはならないのであります。
生化学者では、日本生化学会会頭
水原舜爾(みずはらしゅんじ 1915~)氏
仏教は、現代科学にちっとも矛盾しないばかりか、
これから科学が進みゆく究極のところを
先取りした感があります。
逆に、宗教学から科学を眺めると、
東大宗教学教授、
岸本英夫(きしもとひでお 1903~1964)は、
「世界に数ある宗教の中でも、仏教ほど、
近代的な科学思想と手をたずさえて、
摩擦の少ないものはまれであろう。」
と考えています。
では、これらの学者達は、
仏教の何を評価しているのでしょうか。
それこそ、この後2章で紹介する、
仏教の根幹であり、すべての仏典を一貫して流れる
『因果の道理』です。
●釈迦の手のひらでうろうろする孫悟空
最新の物理学でさえ、
2600年前のお釈迦さまに勝てないのか、
次のように言う専門家もあります。
現代の日本における最高の理論宇宙物理学者
池内了(いけうちさとる 1944~)氏は、
「様々な発見をしてきた物理学だが、
物理学者は未だに仏の掌をうろうろしている
存在でしかないのである。」
東大理学部学科卒のサイエンスライター
竹内薫(たけうちかおる 1960~)氏は、
「最先端の宇宙論も、
キント雲で世界の果てをめざしても
お釈迦さまの手のひらからは外へは
抜け出せない孫悟空の物語と
同じように、仏教的な世界観に通じてしまうのだから
仕方がないかもしれない。」
『アタマにしみこむ現代物理』
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②東洋の人間観1
「私は誰?」本当の私。~心理学~
「さすがに心理学より深い人間観はないでしょ?」
と思っていませんか?
心理学こそ、仏教には遠く及びません。
●心理学をはるかに先取り
「人間と生まれて一生の間に、
どうしても出会わねばならぬ人が、一人いる。
それは自分自身だ」
と言われるように「自分探し」といえば、
どんな年代もいつか誰かが問題にしています。
今日、心理学関係の、神経科学、行動科学、
認知科学のような、色々な分野の考え方を総動員すると、
「人は自分で思っているほど、自分の心を分かってはいない」
という結論が出てきます。
「これが自分の心だ」と思っている心は、
「意識」と呼ばれるもので、
その下に、私を動かしている「無意識」とよばれる心が
発見されているのです。
ですが「無意識」は、名前の通り、
意識できない心ですから、
西洋で学問的に論じられるようになったのは、
フロイトが1900年に『夢判断』を出版してからです。
ところが仏教では、心を八つに分け、
意識や無意識といわれるもののもっと奥にある
「阿頼耶識(あらやしき)」が本心だとされています。
東大の比較思想学の権威
中村元(なかむらはじめ 1912~1999)も、
次のように言っています。
「心理学者のユング(1875~1961)が到達した認識は、
実は仏教やインド哲学では既に2000年以上前から
説かれていたものであったということが
よく知られています。」
実際、深層心理学という新たな学問体系を開いたユング自身、
著書に中国仏教について次のように記述しています。
「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、
彼らの心的発展を研究して得たものは、
何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して
切り開いた教えと実によく対応していました。」
『戦争と平和』で有名なロシアの文豪
トルストイ(1828~1910)は、
仏説譬喩経の『人間の実相』の物語を知り、
あまりに自分の心をズバリ言い当てていることに、
次のようにショックを受けています。
「東洋の寓話を読んで、大きな衝撃を受けた。
これ以上、人間の姿を赤裸々に表した話はない。
単なる作り話ではなく、誰でも納得のゆく真実だ。」
また、今日の脅迫性障害治療の世界的権威、
ジェフリー・M・シュウォーツの
『心が脳を変える脳科学と心の力』
によれば、今日の脳科学によっても、人の心は、
この世の物質(脳の化学反応など)によって
決定されるのではないことが明らかになるつつあり、
「仏教哲学では、人の選択は物理的世界の
何ものによっても決定されない。これが真理だ。」
2000年以上も前に、
心が世界を生み出すと教えた仏教が
強いインパクトを与えています。
日本の心理学の第一人者、
河合隼雄(かわいはやお 1928~2007)
も次のように言います。
「仏教はふつういうところの宗教ではない。
それは言ってみれば、『知恵』なのである。」
そういうことは、これまでもよく言われてきた。
③東洋の人間観2
えっ?人工知能にまで?ロボット工学
物理学と心理学の両方に関連し、
人工知能やロボット工学でも、仏典の、
深く精緻な心理分析が活躍しています。
●ロボット工学でも息をのむ活躍
ロボット工学に近づく程、
人の心を論理的に学ぶ必要に迫られてきました。
その際、なんと仏典を研究している学者は
一人や二人ではありません。
ロボットコンテストの開催を最初に提唱した
東京工業大学名誉教授
森政弘(もりまさひろ 1927~)氏は
次のように驚いています。
「唯識仏教では八識(八つの心)に基づいて
心理の詳細巧妙な解析を展開しており、
その精緻さには驚くべきものがある。」
人工知能の開発者、「人工知能の父」と言われる、
マサチューセッツ工科大学教授
マービン・ミンスキー(1927~)は
「人工知能の開発には、当然、
人間の心の構造の研究が大切になる。
ところが、現在の心理学は、十分に教えていない。
そこで、心を専門とする宗教の中に、
人間の心の構造を解明した宗教はないかと調べてみた。
結果、キリスト教やマホメット教も、
ほとんど心のしくみを教えていない。
ところが、仏典には詳しく説かれていた。
釈尊は実に優れた心理学者だ。
コンピューター開発に、仏典が比類なきテキストになる」
ソニーでロボット犬アイボや
二足歩行ロボットキュリオをつくった
土井利忠(どいとしただ 1942~)氏は、
次のように述べています。
「従来は、宗教と科学というと、
両極端にあり、対立するもの、
そして相容れないものと考えられてきた。
たしかに、「ニュートン力学」のレベルの科学は、
宗教とは相容れない。
そして、一般の人が心の中に持っている
「科学」という概念は、
実はほとんどの場合
「ニュートン力学」のレベルにとどまっている。
だから、宗教と科学が対立して見えるのだ。
20世紀に入ってから、科学は大きな変容を遂げた。
アインシュタインの「一般相対性理論」や、
素粒子の物理学である「量子力学」など、
従来の「ニュートン力学」の概念を
大幅に塗り替える理論が確立したからだ。
とくに「量子力学」は、少し深く読むと
宗教的な概念と決して矛盾しないような
解釈が可能になってくる」
慶応義塾大学理工学部工学科
ロボティックスの前野隆史(まえのたかし 1962~)氏は
文明全般の流れについて
次のように実感しています。
「実存主義は近代哲学よりも釈迦に少し近づいた。
もともと私は科学技術に携わってきたので、
考え方の基本は西洋流の論理であった。
しかし、心や意識について考えれば考えるほど
東洋流のやり方を取り入れることの重要性を
痛感せざるを得なかった。
歴史は、東洋の時代から、西洋の時代へ、
そして地球を一周して東洋の時代へという、
大きな流れだと実感するようになった。」
④東洋の哲理
哲学者はどう思っているの?~哲学~
「仏教より西洋哲学の方がすぐれている」
と思っていませんか?
特に西洋の有名な哲学者たちに聞いてみましょう。
●ハイデッガーも絶句
西洋哲学で、存在と時間は切り離せないと
考えられるようになったのは、
20世紀最大の哲学者の一人、
ハイデッガー(1889~1976)の頃からです。
でも、仏教では常識。
ハイデッガーは、仏教書『正法眼蔵』で
一番有名な「有時(うじ)の巻」を知り、
驚いてしばらく絶句したと伝えられています。
なぜかというと、「有時」とは、「有(存在)は時なり」
ということだからです。
一方、ハイデッガーの主著の題名は、
今は『存在と時間』と訳されますが、
『有と時』ということです。
仏教の存在論、時間論は、
西洋哲学を2000年先取りしていたのです。
●驚異の言語学も東洋では常識
ソシュール(1857~1913)は言語学を研究し、
言葉と物事の結びつきについて解明し、
当時の西洋人に、大きな衝撃を与え、
考え方の大転換を引き起こしました。
ただ、その内容は仏教では2000年前から常識でした。
実存主義の代表者の一人、
カール・ヤスパース(1883~1969)は、
著書、大哲学者たちに仏陀とナーガルジャナを取り扱い、
次のように述べています。
「仏教の賢者は、もはや水に湿ることのない鴨のように、
世間をつらぬいて進み行く」
仏教の哲理「空」については、
社会学者であり、評論家の小室直樹(こむろなおき 1932~)
氏は、次のように言っています。
「仏教の『空』は、人類が到達した
最深、最高の哲理であろう」
このように、多くの人たちがほめたたえる東洋思想を、
ぜひ一度、学んでみて欲しいと、
西洋の哲学者たちからも次のようにオススメです。
仏教を人生哲学の基礎の一つにすえ、
近代の西洋に仏教を紹介した
アルツール・ショーペンハウエル(1978~1860)
はこう言い、
「私は他のすべてのものより
仏教に優位を認めずにはいられない。
私は一介の案内者にすぎない。
人生の答えは、各自が古典や東洋の宗教を
ひもといて見つけてほしい。」
世界一やさしい哲学書・ベストセラー『ソフィーの世界』
をあらわしたノルウェーの
ヨースタイン・ゴルデル(1952~)氏も、
日本人に対して、次のように述べています。
「大切なのは疑問を持つことです。
『ソフィーの世界』は読者がそれぞれ大切なものを
見つけるための本です。
いわば哲学の入り口にすぎません。
しかし、この本には、西洋哲学のことしか書いてありません。
日本の若い人たちには
仏教や東洋の哲学を学んでほしいと思います」
⑤すぐれた実践
いくら何でもお金は儲からないでしょ。~経営~
仏教といえば、お金に淡白で、貧しくとも清らかなイメージを
持ってはいませんか。
それでは、お金持ちの皆さんに聞いてみましょう。
仏教は、高度な哲学を含んでいますが、
日常生活と離れない、とても実践的な教えなので、
普段の人間関係でも、
すぐれたコミュニケーション能力を発揮します。
例えばビジネス書なら、スティーブン・コヴィー氏の
『七つの習慣』は、
全世界史上最高の大ベストセラーとなりました。
そのキモである第六の習慣『相乗効果を発揮する』は、
人と人との団結によって、
人々に内在する大きな力を
奇跡的に引き出すことだそうですが、
これは、他のすべての習慣の目的であり、
人生において最も崇高な活動と評価しています。
ところがコヴィーは、
『これを仏教では中道と呼ぶ』と言い、
実は他の習慣にも、
東洋的アプローチがとられています。
特に第四から第六の習慣は、
仏教では、相手を幸せにするままが
自分が幸せになる「自利利他」ということです。
だから相手の立場に立つこと『自利利他』を心がけて、
巨万の富を築いている人が沢山あります。
有名な高島屋は、『自利利他』を心がけています。
「高島屋が発展した鍵「自利利他」は、
昔から変わらぬ当店の家風であります。」
(高島屋二代目)
京セラの創始者、稲盛和夫(いなもりかずお 1932~)
氏などは、次のように言っています。
「私は、いつも簡単な仏教の本をもって歩き、
飛行機のなかであろうと、どこであろうと、
閑があれば読んでいます。
そのくらい繰り返しよんでいても、
すぐに忘れてしまい、なかなか実行できません。
それでも、そうでなければならないと思い続けること、
毎日心がけることが大切だと私は思っています。
(六度万行)普通の人間が生きるための知恵として、
ぜひ取り入れるべきだと私は信じます。
六度万行とは、
布施(ふせ)・・・・・・・・・親切
持戒(じかい)・・・・・・・・言行一致
忍辱(にんにく)・・・・・・・忍耐
精進(しょうじん)・・・・・・努力
禅定(ぜんじょう)・・・・・・反省
智慧(ちえ)・・・・・・・・・修養
また、100年ほど前の自己啓発の古典、
ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」に、
仏教は明らかに影響を与えていると言われていますが、
アメリカでは800万部の大ベストセラーになった
「小さいことにくよくよするな」
を書いた臨床セラピスト・心理学者の
リチャード・カールソン(1961~2006)
も、仏教を学び、取り入れています。
「仏教の教えでは、苦難は人の成長と
心の平和に欠かせない要素だとみなされている」
また米国PR会社日本法人社長
田中慎一(たなかしんいち 1955~)氏は、
コミュニケーションについて、次のように語っています。
「欧米人の頭の中には、
そういった禅とか仏教的な思想は入ってないから、
もっと科学的に考えてしまうんですね。
どちらかというと。
相手と一緒になれるわけがないじゃないかと。
あとは無限大の発想でいわゆる無限に近づいていくと
説明するのがギリギリのところでしょうね。
でも、東洋的にはよくあるでしょう。
禅の修業であの山と一体になれとか。
『ラストサムライ』なんかが向こうで流行るのも、
そういった東洋思想的な不可思議さに
ひかれ始めている証拠なんでしょう。
コミュニケーションというのは、
相手の立場に立てればこれほど強いものはないんです。
この辺は圧倒的に東洋思想のほうが強いですね。
案外、コミュニケーションの分野では
日本が世界をリードしていっても
おかしくないと実は思っているんですよ。」
●仏教経済や「共生」
このように個人的な成功哲学はもちろん、
社会全体としても、
たとえばイギリスの有名な経済学者
シューマッハ(1911~1977)は、
世界的ベストセラー『スモール イズ ビューディフル』で、
再生不可能な資源に立脚するのは愚かであり、
再生可能な資源によって小さな範囲で自己循環する
『仏教経済』を提唱しています。
「正しい経済成長の道は、唯物主義者の無頓着と
伝統主義者の沈滞の間の中道、
つまり八正道の『正しい生活』を見出すこと。」
六本木プリンスホテル(東京)、パシフィック・タワー(パリ)、
ゴッホ美術館 新館(オランダ)
クアラルンプール新国際空港(マレーシア)
などを作った世界的建築家の黒川紀章
(くろかわきしょう 1934~2007)
は、仏教を元に『共生』という言葉を作りました。
「私が1960年につくった新しい概念である
“共生の思想”の原点には、
大学で学んだ「唯識思想」があります。
仏教思想として4世紀にまとめられたもので、
「二元論」と違って、善と悪を超え、
すべてを一つのものとして扱うことが感動的でした。
明治以降の日本は合理的精神に基づく二元論、
つまり精神と肉体、理性と感性、都市と自然、
科学と芸術、個と全体と対比させる考え方のもとに
発展してきました。
確かに日本が近代化を進めるなかで、
科学技術や経済の発展には必要な思想でした。
ですが、私にはそれだけでいいのか
という思いがありました。
すなわち、対立、矛盾、あるいは
厳しい競争関係にある二者、
または複数の相手がそれでもなお、
相手を互いに必要とする関係がある。
それは単純な二元論ではなく東洋的な哲学です。
互いに相携えることで
新しい時代を切り開くことができると考えたのです。」
ではなぜ、あなたは、こんなにも身近に
そんなすごいものがあるのに気づかなかったのでしょう。
(つづきの第2章はまた次回載せます)
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