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お釈迦さまの教えられたことを正しく知っていただきたいと思います。


      今日の金言

当流の真実の宝というは
  南無阿弥陀仏、
    これ一念の信心なり
         (御一代記聞書)

この世の宝は、いつか壊れる。
喜びも色あせ薄れ、消えていく。

大宇宙最高の宝・南無阿弥陀仏と一体になれば、
焼けもせず、流されも、盗まれもしない、
無上の幸せがいつも満ちていると、
絶賛されています。


知らずに犯す悪と、知って造る悪とどっちが恐ろしいか!? [Q&A]

(質問)知らずに犯す悪と、知って造る悪とどっちが恐ろしいか

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仏教では、悪を悪と知らずに犯す罪のほうが、
より恐ろしい結果を生むと教えられます。
例えて申しますと、
開放性結核を自覚している患者は
自分がタンを吐くことは、
どんなに恐ろしいことかということを知っていますから、
むやみやたらにどこにでもタンを吐くことを慎みます。
たまたま外出した時に不注意でチリ紙もハンカチも忘れて、
やむなく路上にタンを吐いたとしても、
この人はその行為を悪だと知っているのですから、
以後の外出には必ず注意深くチリ紙を忘れずに
持参することになるでしょう。
そうすれば、悪を知っていて犯す罪の結果は部分的であり
一時的なものでおさまります。
これに反して開放性結核にかかり排菌しながらも、
それを知らない患者は何の注意もせず、
至る所でタンを吐いて回ることでしょうから、
その結果は広くて永続的なものになるのです。

●知らずに犯す
   罪の恐ろしさ

阿難尊者がある時、釈尊に
「知って犯す罪と、知らないで犯す罪と
どちらが恐ろしいのでしょうか」
と、質問したことが『ミリンダ王所問経』
の中に出ております。
その時釈尊は、
「それは知らないで犯した罪のほうが重くて恐ろしい」
と、キッパリと答えられています。

阿難がその理由を尋ねると、
「おまえは焼け火箸を焼け火箸だと知って握る人と、
焼け火箸だと知らないで握る人と、
どちらが重い恐ろしい火傷をすると思うか」
と反問されました。
阿難は即座に、
「それはもちろん、焼け火箸と知らないで握った方が、
よりひどい火傷をいたします」
と答えると、釈尊は、
「そのとおりである。人は自分のしていることが罪悪だと
知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、
一層罪が重く恐ろしいのだ」
とお諭しになっています。

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●シュリハンドクの悟り

あの有名なシュリハンドクが、釈尊の仰るとおり
20年間黙々と掃除三昧の結果、
チリやほこりはあると思っている所ばかりであるのではなく、
かえってこんな所にあるものかと思っている所に、
意外にあるものだということを知り、
「私は愚かであると思っていたが、
私が愚かなのは愚かだと思っているところばかりではなく、
むしろ自分の気づいていないところにこそ、
どれほど愚かなところがあるか分からないのだ」
と知らされて悟ったといわれています。
(※悟るとは阿弥陀仏に救われたこと)

私たちも同じことで、
私たちが悪だと自覚している悪は、
まさに氷山の一角で知らずに犯している罪悪が
いかほど重く、恐ろしいものであるかを、
仏法の法鏡によって
よくよく見せていただかなければなりません。

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