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お釈迦さまの教えられたことを正しく知っていただきたいと思います。


      今日の金言

当流の真実の宝というは
  南無阿弥陀仏、
    これ一念の信心なり
         (御一代記聞書)

この世の宝は、いつか壊れる。
喜びも色あせ薄れ、消えていく。

大宇宙最高の宝・南無阿弥陀仏と一体になれば、
焼けもせず、流されも、盗まれもしない、
無上の幸せがいつも満ちていると、
絶賛されています。


親鸞聖人と三世因果 [Q&A]

仏教は三世因果の教えといわれます。
これは、どんなことでしょう。
親鸞聖人の強調された現在の救いと、
どんな関係があるのでしょうか。
仏教の根本教理は、実に「三世因果」の教えにあります。
これがよく理解されなければ仏教は絶対に分かりません。

まず「三世」といいますのは、
過去世、現在世、未来世のことです。

「過去世」といいますのは、
私たちが生まれる以前のすべての過去をいいます。
「現在世」とは、この世に生を受けてから死ぬまでのことです。
「未来世」とは、永遠の死後をいいます。
私たち一人一人に、
この悠久の過去と永遠の未来があると
仏教では教えられます。
過去・現在・未来の三世を貫く
生命があると説かれています。

●「生まれた」という結果の原因は?

「過去世や未来世なんか、あるか」
という人もあるでしょう。
しかし、私たちが生まれたということは、
まぎれもない「結果」です。
こんな結果が、どうして生じたのでしょう。

私は、なぜ13億人の中国ではなく、
1億2000万の日本に生まれたのか。
江戸時代に生まれた人、明治に生まれた人、
平成に生まれた人もいます。
大正、昭和に生まれ無理やり戦争にかり出され、
虫けらのように殺された若者もたくさんあります。
平和な世に生を受けていたら、
そんな青年たちの人生は大きく変わっていたでしょう。
地球上、70億の人はあっても、
生まれた時も所も、容姿も才能も、
同じ人は一人もいません。
生涯を左右するこれらのことが、一体、
何によって決まったのでしょうか。

これについて釈尊は、こう説かれています。

「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、
現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば、
現在の因を見よ」
(過去に、どんな種まきしてきたかを知りたければ、
現在の結果を見なさい。
未来、どんな結果が現れるかを知りたければ、
現在の種まきを見なさい、分かるであろう)

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これは、現在を見れば過去も未来も、みな分かる、
悠久の過去と永遠の未来を包含しているのが
現在であるからだと、教えられたものです。

この釈尊の教えによれば、
一人一人の生まれた結果が異なるのは、
70億の各人各様に生まれる前の、各人各様、
異なった原因があったからに違いありません。

「善因善果、悪因悪果、自因自果」
の厳粛な因果の道理に従って、
私たちの過去世の行為が
現在世の私たちの境界(きょうがい)を
生み出したのです。

未来、私はどうなるか?

当然、「過去世」があるように、
私たちには「未来世」があります。

もし「未来世」がないとすれば、
因果の道理に例外を認めねばならなくなるでしょう。
たとえば、ある人が2人殺して死刑になったとします。
2人殺した罪(因)が1回の死刑(果)で償われるとするならば、
10人殺した者は5回死刑にならなければなりません。
そんなことはできませんから、
もし未来世がなければ、2人殺したら
あとは何人殺そうが死刑という結果は
同じということになります。
原因が変われば結果が変わるのが、因果の道理です。
日給1万円の仕事をすれば、
100日働けば100万円もらわなければ
誰も承知しないでしょう。
それが、1日働いても一万円、
100日働いても1万円だといわれては
働く人がないのと同じです。
原因が変わっても結果は同じだという主張は、
三世十方を貫く「因果の道理」を知らない妄言です。

現在世の行為の結果が、たとえ現在世で現れなくても、
必ず「未来世」に現れますから、
「三世因果」は三世十方を貫く真理であると
教えられているのです。

現在は過去と未来を解くカギ

この仏教の「三世因果」の道理が正しく理解されますと、
いかに「現在」が大切か知らされます。

先に述べましたように「過去世」とは、とりつめれば去年であり、
昨日であり、前の一時間であり、吐いた息が過去になります。
「現在世」も、とりつめれば今年であり、
今日であり、今の一時間であり、
今の一息が現在の当体となります。
「未来世」も、これも叩けば来年となり、明日となり、
一時間先となり、吸う息が未来となります。

ですから、仏教の三世とは、吸う息、吐く息の中にあると
教えられるのです。
念々のうちに、三世がおさまっているのです。

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ゆえに、ただ今の一念を徹見すれば、昿劫の間、
流転してきた自己も明らかになるし、
未来の一大事も知らされることになります。

「『自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、
昿劫より已来(このかた)常に没し(もっし)
常に流転して、出離の縁有る事無し』と深信す」
(現在、私は極悪最下の者である。
果てしない過去から苦しみつづけ。
未来、永遠に救われることのない者と
ハッキリ知ることができた

と仰っている善導大師のお言葉でも明らかでしょう。
だから、現在の救いがなくして
未来の救いはないのですから、
現生(現在)不退、平生(現在)業成、
不体失(現在)往生と、親鸞聖人が、
現在の救いを強調されたのは当然でありましょう。

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